ハロウィンだからといってHDDクラッシュなどという悪質なトリックはいらない

現実逃避ハロウィン散歩

今年も血湧き肉躍るハロウィンシーズンがやってきた。私の胸に秘めしダークサイドも、もはや取り憑かれているのではないかというほどにはしゃいでいる。普段の街並みや見慣れた通りを、不気味で賑やかなパレードが通るような、日常と非日常の狭間を歩くような独特の感覚がたまらないのだ。
 
だがつい先日、そんな浮かれた心に冷や水を浴びせかける様な事件が起った。
思い返しても心が痛むので詳細は伏せるが私はこの件を『いつものようにPCをスリープさせたらHDDおかしくなってバックアップ復旧もOS再インストールもできなくなった事件』と呼んでいる。こんな非日常はいらない。
これにはさすがの私も裏声で「ひえぇ」と壊れかけた笛吹やかんのような力ない悲鳴をあげたものだ。しかしこの程度で動じる私ではない。確かにはじめこそ少し驚いたが私は極めて冷静に、口から湯が沸いたときの音を発しながらすまし顔で再起動を試みた。そう、この再起動で問題が解決すればこの問題は問題無い問題なのだ。PCが起動するまでの間、私は湯沸かし音とすまし顔をそのままに、両の手を顎下で組み自然と祈りの姿勢をとっていた。だが、無情にもPC画面は相も変わらずできもしないバックアップからの復旧やらOS再インストールを勧めてくる。神は死んだ。
私は組んだ手をそのままに椅子から滑り落ちるように床へ両膝をつき、背を反らせ天を仰いだ。その様は、時代が時代なら絵画にされてしまっていてもおかしくはない様な、完璧な嘆きの姿であったと自負している。
これはきっと、いや確実にハロウィンのせいに違いない。やはりハロウィンには不可思議なことが起こるのだ。
聞くところによると、ハロウィンで行う仮装の由来は『悪しき霊の類に連れ去られないため』らしいが、もしかすると私のPCの魂も悪しき者に連れ去れられしまったのだろうか。PCだからと侮らず猫耳くらいつけておいてやるべきだったのかもしれない。さもなくば、PCから私に対しての茶目っ気たっぷりな『トリックオアトリート』なのか。だとしたらお菓子をあげるから今すぐそれをやめろ。そして2度としないで。
しかしながら私に直接の危害を加えず、懐と精神に深傷を負わせようとは、さすがは我がPC。何を隠そう多数のデータを『外部に保存して読み込むとなんか重い気がする』などという理由でデスクトップに保存していたのだ。単純に物が壊れた際のダメージとは比べ物にならない。こまめにとっていたバックアップからの復旧もさせないとという徹底ぶり。やることが私に似てとてつもなく陰険で陰湿で性格が悪い。
 
私は現実から逃げるかの様にPCをシャットダウンすると、近所のスーパーへ買い物へ出かけた。当然気もそぞろであるため足取りはおぼつかず、顔などは一周回って何故か少しにやついているという不気味な有様であったが、幸いにも今はハロウィンシーズン。かえって馴染んでいたに違いない。なんとなく人々が私を避けて行った気がしたが、おそらくそれは自意識過剰というもの。他人はそれほど自分を見てはいないものだ。
現実逃避は往々にして非難されがちな行動であるが、今回に関していえばこれが功を奏した。晒した醜態はともかく、一度間を置き外の空気を吸ったことで、少しは落ち着きを取り戻すことができたのだ。
そう。まだ私は持てる力の全てを出し切ってはいない。できることはまだある。
私は最後の望みを懸けてセーフモードでの起動を試みた。
デーンッ!というPCの起動音を聴きながら、PCの前にひざまづき眼前で手を組み起動を待つ。
修理保証期間はとっくに切れている。これでダメならおそらくHDDは本格的に故障しており買い替えは必須。懐の無事はこの一手にかかっている。
永遠にも似た長い起動待機時間の末、PCが表示したのは、いつもの、見慣れたログイン画面だった。
その時私は思わず両手の拳を天に突き上げ、空に向かって「やったー!!!!」と、なんの情緒もない直球の歓声をあげた。ここ数年で一番大きい声だったと思う。ざまあみろ私は陰湿で陰険で性格は最悪だし性根も腐った根暗だが日頃の行いはいいのだ。自分でも何を言っているのかはわからないが、何はともあれデーンッ!は福音となった。
しばらくその姿勢を保持したまま、濁点だか半濁点だかよくわからない記号のついた声を、地を這うデスボイス気味の低音と気の抜けるような裏声の高音とを行ったり来たりさせながらロングブレスで出し続けて喜びを噛みしる。まさに感極まるを具現化したような姿であったが、これは時代が時代でも絵画にされることはないであろう。何故なら人間が古来より他人の喜びよりも絶望する姿に悦を見出し娯楽として消費する生き物だからな。ひどい偏見である。
 
かくしてハロウィンを待たずして訪れたゾクリとするような非日常は幕を下ろした。終わってみればあっけない物で、その後PCは何事もなかったかのように動いている。唯一変わったことと言ったら、持ち主である私がPC内データのコピーをバックアップ含め三つ以上作るようになったことくらいだ。