夏と不意打ち

夏の思い出

今年の夏も例年通り酷暑と日光に痛めつけられたわけだが、8月が終わった途端、たちまちに気温が下がり日差しも弱まった。
朝夕は特に冷え込み、すでに秋物の服を要するほどだが、これはつまり、もう夏は過ぎ去ったと認識して良いのだろうか?ここに来てまさか急に気温上がったりしないだろうね?一度油断させておいて再び灼熱地獄に叩き落とすような、そんな心無い真似はいくら何でもしないだろうね?
 
夏の風物詩の一つである恐怖映画には、幽霊が出現する直前『今にも何かでそうな不吉な静けさ』や『もう大丈夫と気を緩めさせる』場面が挟まれていることが多いように思う。
まさか今の涼しさも恐怖演出が如くこれから暑さが復活する前振りではあるまいね?
私は暑さも苦手だが、心霊番組や怪談話などもあまり好きではない。好きではないだけで特別怖がりな訳ではない。ただ、映画を観てから数週間程度は暗い部屋で眠れなくなるなど、ほんの少しだけ影響されてしまうのであまり観ないようにしているのだ。ちなみに風呂場で恐ろしい場面を思い出してしまった時は、歌でも奇声でもなんでいいから口から音を発すると気が紛れるぞ。
 
また、夏といえば虫が活気付く季節でもある。
虫と言っても様々いるため『全ての虫』とは言わないまでも、怪談と同様どちらかというと虫は全般的に苦手な方だ。どのくらい苦手かと言うとそうたいしたことはなく、家の中で虫に遭遇した際、思わず飛び退って家具や柱に身体をぶつける程度である。たいしたことはない。
何よりこれは虫に対する恐怖心よりも『自宅で虫に出会ってしまった』という状況がいけない。もちろん屋外でも遭遇しないに越したことは無いが、ある程度『出会ってしまっても仕方がない』という覚悟というか、半ば諦めのような感覚は常に抱いているし、私自身がその場を離れてしまえば虫からの逃走は容易なため、不快は長く続かない。しかし自宅で遭遇してしまった場合というのは、まず大抵において『奇襲』であり、『自身のテリトリー内』で『本来いるはずのないものに侵攻を許している』という状況であり、その部分がもたらす精神的な苦痛が非常に大きい。その上私が何かしらの処理を施さない限り虫は室内に居座り続けるので、いやでも虫と向き合わなければならず非常にストレスである。
そしてこの『処理をしなければならない』せいで直視する事となる虫の不気味な点が、いまの今まで部屋の隅で微動だにしなかった癖に、いざ退かそうとしてチラシや割り箸で触れた瞬間、突然羽根をばさばさやったり足という足をばたつかせ始めたりするところなのだ。生きてるのか死んでるのかはっきりしてほしい。アンデッドなのか。
なぜわざわざ虫なぞ話題に出したかというと、今夏の暑さも虫たちが如く、息絶えたと見せかけて急に暴れ出したりしないかどうかが心配だと言う話をしたかったのだ。
こうしてみると恐怖演出と虫に対する嫌悪感は少し似ているのかもしれない。
 
さて、夏は様々な方向から何かと不意打ちをしてくる癖者ではあるが、信頼関係を築くためには疑ってばかりもいられない。今年は信じて早々に衣替えをしてみようかと思う。何よりすでに冬用の掛け布団は出してしまっているし。
毎年このくらい潔く去ってもらえるのであれば、もう少し夏と友好的な関係を結べそうなのだが。