屋根より高い自己肯定感

Koinobori


本日5月5日はこどもの日である。
脳内ネバーランドの住人である私も、自らの健やかな成長を願うため、柏餅を貪り食いながら子供のようにはしゃいで祝って過ごした。
肉体の疲れ方だけはいい大人のそれであるのが悲しいところである。

 

それはさておき、こどもの日といえばやはり『屋根より高い鯉のぼり』だ。『鯉のぼり』は激しい滝を登った鯉が竜になるという『登竜門』の言い伝えから、立身出世の象徴と言われており、是非ともあやかりたいところではあるが、残念ながら手元に鯉のぼりがないので、代わりに何か別の『高く上がっているもの』で我慢しておくこととする。
ここ最近高く上がっているものと言って、まず最初に頭に浮かぶのは『生活費』だが、いささか祝いの場には相応しくない気がするのでやめておき、次点として思い当たる『自己肯定感』で手を打っておこうと思う。タイトル回収である。何を隠そう特別立身も出世もしていないにも関わらず「ま、いっか」の精神で日々を安穏と過ごせるこの私の自己肯定感、現時点でなかなかに高く、さらに上り詰める素質があるのではないか。実際、このわずか500文字程度の文章をタイピングをしている時点で「わたしもうとてもえらい」と思っている節があるし、休日にも関わらずきちんと朝食を摂った時など、偉すぎてむしろ不安になるくらいだ。
こんな具合に、鯉のぼりの代用品として屋根より高い自己肯定感を掲げてみたわけだが、私の中の自己肯定感唯一の欠点は「ま、いっか」の精神と、立身出世に対する意欲が反比例していて、本末転倒感が否めないというところにあるのだが、ま、いっか。

自宅探索型エッグハント

エッグハント2023

イースターに行う遊びには「エッグハント」という隠されたイースターエッグを探すゲームがある。隠されたイースターエッグを探すのだから、当然隠す人間と見つける人間が必要で、つまり少なくとも二人以上で行う遊びなのだが、自分でしまったものを見つけられなくなりがちなこの私にかかれば一人で行うことも容易い。こうしてぼっちスキルが極まっていくのだろうね。

しかし、なぜしまったはずの場所で目当てのものが見つからないのかは本当に長年の謎で、解決はもちろんのこと、原因も解っていないのだが、一応今のところ考えられる説の中で有力なのは以下の二つである。
一つは、単純に私が片付けが下手かつ物覚えが悪く、探している物をしまったと思っている場所に本当はしまってない説。
もう一つは私が見ていない間、妖精さんが私のものを勝手に使って元の場所に戻していない説。
まあ十中八九後者だと思うので、なかなか対処が難しい。妖精さんは我々とは違う摂理で動いているので仕方がない面が大きい。
一応対策として部屋を片付けたり整理整頓するなど工夫してみてはいるのだが、不思議なことに、この「しまったはずの場所に探している物がない」現象、部屋が汚い時よりも綺麗に片付いている時の方が起こりやすいのだ。妖精さんが過ごしやすい環境を図らずとも提供してしまっているのかもしれない。博愛精神が仇となったようだ。世知辛い。

ただ、リスが隠して忘れてしまったどんぐりが将来森を形成することもあると聞くし、なくなった私の消しゴムやら櫛やらも、時を経て何らかの形で世界に還元されるのかもしれないと思えば、少しは報われるだろう。まあ室内で木を生やされるのは勘弁だが。
それに、世の中には「見つけなければと探しすぎると疲れてしまうもの」も確かに存在すると、私は思っている。
例えばそう、この話のオチとか。

ふわふわ2023年

ふわふわ2023年

特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと

あけましておめでとう
突然だが、今年2023年は卯年なのでうさぎを見習って過ごそうと思う。独自の調査によるとうさぎの主成分は『かわいい』『ふわふわ』『跳ねる』の3つだったので、この3点を意識して生活していくつもりだ。

まず「かわいい」について、おそらくうさぎの70%近くはこれで形成されている。この『かわいい』は見た目の愛らしさもさる事ながら、何か間違いがあったらすぐごめんなさいするなど『かわいげ』というものも意識して行くといいかもしれない。

次に『ふわふわ』だが、これは朝眠りが浅くなってきた時の『うつらうつらしていて寝てはいないけど半分くらい夢を見ている時』の感覚をイメージしている。物理法則などの「それはそう」という常識と『蛇口をひねると雨が降る』など夢特有の謎マイルールが当たり前のように並行して存在する世界を「まあ多分これ夢だし大丈夫だろ」くらいの気軽さで自由にふらつくように過ごしていきたい。去年の抱負でもあった『ゆるゆる(ゆるく行こうの意)』のいいところを受け継ぎつつ多少行動的に進化させた感じとも言える。

そして最後の『はねる』については、普段ふわふわしている分、ここぞと跳躍する際にはその瞬間に集中し力強く大きく飛び跳ねてかっこよく決めたい。そして終わったらまたふわふわしたい。これに尽きる。

以上の『かわいい』『ふわふわ』『跳ねる』この三本柱を軸にうさましくやっていこうと思うので今年もよろしくお願いうさぎます。

 

追伸

夏頃に少し話したサブブログの方が開設したのでこちらもよろしければよろしく。

聖なる…

ぬくぬくりすます
本日はクリスマスイブだ。
この時期は例年浮かれ気分になっているが、実際、何か部屋を飾り付けたり、特別なことをしたかと問われれば特にそんなことはない。ただしクリスマス装飾の定番である靴下は今部屋干ししているので、それはまあ飾ってあるに数えてもいいだろう。明日には乾いてるだろうし。

さて、今年は一段と冷え込みが厳しいため、件の靴下をはじめとしたニット製品をよく使う。暖かくて大変重宝しているのだが、この季節の乾燥とも相まって、使っていると『くる』のだ、毛が逆立って触るとバチッとする『あれ』が。
私は冬の風物詩でもある『あれ』を『聖電気』と呼んでいる。我ながらこいつ阿呆だなと思うが人生楽しいに越したことはないから問題ない。ポジティブは作れる。
それにあながちただの当て字というわけではない。電気を消した寝室で2枚掛けの毛布を一枚ずつに引き剥がした時など、凄まじいバチバチ音と共に毛布と毛布の間に閃光が走るのだが、言ってしまえばあれは実質イルミネーションだし、ドアノブに触れた瞬間のパンッッ!!!という爆ぜるような衝撃と乾いた音はパーティ用のクラッカーのようなものなので実にクリスマスらしい。ポシティブは作れる。
そして聖なる電気なので、体に流れた時は「ありがとうございます!」と見えない何かに感謝を告げると、多少そういう癖の人っぽくはなるものの、体感何割り増しかで運がよくなったような気がしなくもない。多分。ポジティブは作れる。

まあそんな風に面白おかしく過ごしていれば、何だかんだ良い新年が迎えられるのではないかな。
皆様もメリークリスマスアンド良いお年を。

オータムゼロ

理想の秋

秋は気候が落ち着き過ごしやすいことから、さまざまな活動に向いているとされ、『読書の秋』『行楽の秋』『芸術の秋』など多くの呼び名を付けてられている。
私も四季の中で過ごしやすい季節を一つ選べと言われたら、夏の暑さは和らぎ、冬ほどの厳しい寒さもまだ訪れていない秋を選ぶだろう。冷暖房費も浮くので。だが、そんな気候の良さとは裏腹に、毎年この季節になるとなぜか体の調子が悪くなるので、私は密かに『体調不良の秋』と呼んで実快適度としてはプラスマイナスゼロの評価をつけている。

 

そんな秋ももうすぐ終わりを迎えようという頃だが、今年は今更ながらリングフィットアドベンチャーを始めてみるなど貧弱な私なりに『スポーツの秋』を楽しんだ。当人比だが多少は体力がつき健康になったような気がする。健全な心身に憧れがないわけではないので嬉しい限りだ。
元気であるというだけで楽しめることも増える。例えば食事などがそうだ。お誂え向きに秋は美味しいものが多いので、さつまいもをはじめ柿や栗にきのこやさばなど、『食欲の秋』も十二分、いや十五分くらい堪能した。おそらく不摂生レベルで言うとリングフィットと合わせてプラスマイナスゼロである。

 

食べ過ぎの話はさておき、秋は少しセンチでアンニュイな気分に浸れる季節でもある。
枯れ葉の立てる乾いた音、頬で北風を感じつつ飲む温かい紅茶、色づいた並木道。これら全てからどことなく感じる『哀愁』こそが秋の持つ最大の魅力だと私は思っている。胸に染みるような物悲しさを咀嚼していると、日常で荒んだ心が浄化されていくのを感じるのだ。
この魅力をじっくりと味わいたいのならば、のんびり散歩をしたり、公園のベンチからぼんやりと景色を眺めるなど、自然を感じる場所でゆっくりと物思いに耽る事が理想なのだろう。しかし、そういった余裕がない時には、庭やベランダにでる、あるいは部屋の窓を開けて外を眺める時間を作るだけでも、空気の冷たさやくすんだ空の色などから、秋が持つ独特のセンチでアンニュイな雰囲気を感じることができる。これならばデスクワークの休憩時、体を休めるついでに気軽に心の洗濯も行える。なお、先日窓から外を眺めていたら、窓枠の上で突然巨大カマキリ同士の死闘が始まったため、私はヒロインの如く両手を組んで「どっちの勝ちでもいいからできるだけ見えないところで死んでくれ」と祈ったりしたので、心の汚れ具合はプラスマイナスゼロである。

ひんやりハロウィン

ひんやりハロウィン

今年もみんな大好きハロウィンがやってきた訳だが、実のところ密かに毎年気になっていることがある。ズバリ『トリックオアトリート』のトリックについてだ。
ハロウィンの代名詞とも言えるこの言葉。みな気軽に口にするが、私はなかなか恐ろしい呪文に思えて仕方がない。
 
前提として大抵の場合、トリックオアトリートはする側される側両の間で了解が取れており、ただ単にお菓子を受け渡す際の合言葉のようになっているので、実際にトリックが発生する事はそうないのだろうが、もし、万が一「あーお菓子持ってないわ」などと言われた場合が問題なのである。何もしなければしないで場が白けてしまうので、何かしら気の利いたトリックをすることが望ましいのだが、そもそも相手が許容できるトリック上限値がわからないため、結局は己の空気読みスキルを頼ることになる。
私が恐れているのはこれだ。相手がお菓子を持っていなかったその瞬間から、楽しいハロウィンは突如として背筋も凍りつく恐怖と絶望の空気読み合戦へと変貌を遂げる。正直幽霊並みに怖い。それを考えると個人的にあの行為なかなか勇気がいると思う。私など「お菓子持っててくれ頼む…ッ!」と願いながらトリックオアトリートすることになるだろう。ものすごく声低くなってそう。
 
元々私はエイプリルフールなどに何か面白いことしようかと思っても『これやりすぎか?』『どこかに迷惑かけて叩かれそう』などと考え、結局日和って何もしなくなるたちなので、こういった『ふつうはやらない少し危ういことや変わったこと』をして人を楽しませることに向いていないのだと思う。所詮は一般架空生物なのだ。
だが一つ自己弁護をしておくと、『空気が読めない自覚がある』ということは、最低限『自分の言動の後空気がおかしな感じになった』という空気を読めなければ自覚できないことなので『空気読めない自覚』ができていて、かつある程度の自重ができているだけでも大分上等なので褒めてほしいところなのだが、ハロウィン当日にこのような文章を書いている時点でもはや空気は読めていないのでやっぱり褒めなくてもいい。

夏の残量知りたい

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残暑お見舞い申し上げます。

情け容赦のない暑さが続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私はと言いますと、おかげさまでこの暑さに負けず…とは言い難いところですが、勝率としては2勝8敗といった具合で、大まかに見積もると引き分け程度には持ち込めておりまして、まあなんとか元気にやっております。
この度は『残暑お見舞い』という形で筆を取らせていただきましたが、『残暑』というにはいささか暑さが残り過ぎているような気もいたします。ですがコップに水が半分入っている状態を『もう半分しか残っていない』と『まだ半分も残っている』のどちらであると感じるかは人それぞれなので、夏もそういったものなのかも知れません。一般的に『まだ~』と感じる方がポジティブであるとされていますので、私はきっとポジティブなのでしょう。しかし、この暑さが10月まで持ち越されることとなったら、私はきっとキレ散らかしてしまうであろうことを、今のうちから宣言しておこうと思います。無様な癇癪を暖かく見守っていただければ幸いです。

何はともあれ体調など崩さぬよう、くれぐれもご自愛くださいませ。


追伸
近々、当ブログ(絵日記)とは少しコンセプトの違うブログを立ち上げようかと考えておりますので、その際はそちらもよろしくお願い申しあげます。