身を切って(物理)生まれる芸術

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の苛烈さに気圧され、それがようやく収まったかと安堵するのも束の間、いつの間にやら秋に背後を取られているのは毎年の事だ。
這い寄る寒さも厭わぬほどに、私は秋という季節を気に入っていて、その理由の一つに紅葉の存在が挙げられる。
燃えるような赤に目の覚める黄。その二つが溶け合う橙。
計算し尽くされたかの如き見事な配色に、絶妙なグラデーション。
木々が美しく色づき、落ち葉が道を染めあげる様は、まさに自然の神秘である。
一方その時私はというと、いつも通り言の葉を紡いでは無軌道に撒き散らし、四苦八苦しながらどうにか文章としての体裁を整えているのだった。
 
このように作業が難航している時は、美しいものでも見て息抜きをするに限る。
そう、例えば『芸術品』など。
私は美しいものが好きだし、折角ブログ名にアートを冠しているのだから、一度くらいは芸術について、何か記事を書いてみたいと常々思っていた。
時節は御誂え向きに『芸術の秋』、アートを語るなら今しかないと、喜び勇んでテーマに据えたは良いものの、驚くほど書くことが思い浮かばす若干動揺している。
(今更だがこのブログのタイトルは・アンデッドアクロバットアートアラートというのだ。長いな。)
仕方がないので、今回は『芸術』と聞いて頭に浮かんだ、少々痛い思い出を綴ることにした。
 

 

それは私が、あまり得意ではない手仕事をこなしている時の事。
デザインカッターを用いて、あまり得意ではない切り出し作業をどうにか終了させた私は、あまり得意ではない着彩の工程に移るべく、スペースを確保しようと作業台を陣取っているツールたちを少々乱雑に脇へと押しやった。
その際、緩くはまっていたデザインカッターのキャップが、カッターマットに引っかかって外れてしまったのだ。
デザインカッターは持ちやすいように軸が丸く作られていて、作業台はほんの僅かに私の体側に傾いていた。
抜き身のデザインカッターは重力に従い、動き出した運命が如くクルクルと前転しながら作業台の端から落下し、見事な伸身宙返りを決めながら刃を下にして私の足に一点着地した。
この滑らか且つ鮮やかな一連の流れは、なかなか高い芸術点を叩き出したのではないかと思っている。特に鋭い着地の仕方などはとても私に刺さった。
少なくとも、私的歴代怪我要因の中ではトップクラスに位置する芸術性だったことは間違いない。
 
幸いにも数分後には忘れ去る程度の怪我であったし、当時から『数ある面白災難コレクションの一つ』程度の認識だったのだが、今回こうして記事のネタにできたことで、『総合的には得をした出来事』にランクアップさせられそうだ。
しかし、この文章を書いている最中、すでに私は気づいてしまっていた。
これがアートというよりアクロバットの話であるということに。