積みと雨とインドア

今週のお題「雨の日の過ごし方」

雨の休日
非常に認め難いことだが、すでに春は去りつつあり雨と紫陽花の季節が迫っているらしい。

この季節に対する好悪の感情は別れそうなところではあるが、強い日差しが苦手な私にとって、雨の日は外出予定と偏頭痛さえなければそれなりに好ましく思える物だ。しとしととどこか優しい雨脚が心を落ち着かせ、時間の流れがいつもより緩やかに感じるところが良いのである。後、植木鉢に水をやらなくても大丈夫なところとかも良い。
 
そんな雨の日は、心穏やかにのんびりと、買ったはいいものの手をつけてない娯楽品などを見直してみるのはいかがだろう。この俗にいう『積んでしまっているもの』を消化するのに、雨という降って湧いた機会は持ってこいではないだろうか。
 
『積んでしまっているもの』の代表格といえばやはり本、『積読』ではないだろうか。
いつか読もうと思いネットショップで注文したあの本、前々から少し興味を持っていた所を中古で見かけて思わず買ったあの本、ポイントアップやクーポンの有効期限につられてとりあえずダウンロードしたその電子書籍。じっくり寝かせたそれらを読むことで、何か意外なアイデアやヒントが浮かぶかもしれない。
それに『雨の休日に読書』など、なかなか絵になるし、字面として素敵だ。
晴耕雨読の言葉に従い、雨音に耳を傾けながら物語や新たな知識の海に浸るのだ。
 
工作や手芸など、趣味の道具も『積んでいる』ものになりがちだ。
やってみたいと言う気持ちに時間や体力が追いつかず、いつの間にか埃をかぶり、次第に記憶の隅に追いやられ忘れ去られる悲しき存在。そんな彼らに今こそスポットライトを当てるのだ。
むしろコツコツとした手作業などは、カンカンに照った快晴より、少しくらい崩れた空模様の方が集中して勤しめる様な気さえする。
あえて言葉を作るのならば晴耕雨芸と言ったところか。
長雨を疎ましく思うならば、時間の許す限りてるてる坊主を量産してみると言う手もある。
 
続いて積みがちな嗜好品としてはゲーム、所謂『積みゲー』が挙げられる。
レベル上げに飽きてやめていたRPG、難しくて投げていたアクション、クリア前に新しいゲームに手をつけてしまい、そちらが楽しくなって中断した結果、進行具合を忘れてなんとなくそのまま放置してしまったゲーム。目覚めよ、今こそクリアの時である。
言うなれば晴耕雨ゲーだろうか。雨のせいにして没頭してしまおう。童心に帰って一日中ゲームの世界に旅立ってしまうのだ。
鬼畜な敵配置に青筋を立て、雨音の合間にコントローラーをみしみし言わせながら未クリアのゲームを進めてみるのもいいかもしれない。
 
積み消化に飽きてきたら、温かい紅茶やコーヒーに合う菓子を手作りしてみてもいいだろう。
バニラエッセンスや生クリームにバター、オーブンから漂う香ばしい香り。菓子づくりは作業中も待ち時間も、完成品を食す時間も楽しい物だ。
梅雨寒で冷えた体が熱い飲み物で内側から温まり、糖分とカフェインが脳に染み渡る幸福感は格別である。
 
こうして、雨の日は積んでいたものを消化して過ごすのだが、今回書いた文章を見返すと、インドア派の私は、天候がどうであろうと過ごし方にさして変わりがないことがわかった。
にもかかわらず、なぜ私の家にはこんなにもたくさんの物が積まれているのだろうかという、新たな謎が積み上がったのであった。